2017年10月25日~11月3日まで、第30回東京国際映画祭が開催される。近年、映画祭の中で大きく注目される企画に、アニメーション監督の特集がある。2014年「庵野秀明」、2015年「富野由悠季と機動戦士ガンダム」、2016年「細田守」と続き、2017年には原恵一をフォーカスする。
「映画監督 原 恵一の世界」と題して、80年代から最新作の『百日紅~Miss HOKUSAI~』(15)まで、監督の映画作品をまとめて上映する。
原恵一は、日本を代表するアニメーション監督だ。2010年の『カラフル』や2015年の『百日紅~Miss HOKUSAI~』で国内外にて大きな受賞を重ねて、国際的な評価を得ている。
しかし、その経歴は異例だ。80年代に子ども向けのテレビアニメでデビュー、その後、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(01)『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(02)で高い評価を得て、一躍注目された。
『河童のクゥと夏休み』(07)『カラフル』(10)を経て、2013年には実写映画『はじまりのみち』も監督する。
35年の業績を振り返る第30回東京国際映画祭の特集企画を機に、原恵一監督に、これまでの仕事と、現在、そして今後について伺った。
[取材・構成:数土直志]
第30回東京国際映画祭 http://2017.tiff-jp.net/ja/
「映画監督 原 恵一の世界」⇒ 上映作品一覧
■ 昔の作品に、「なんでこんなアイディア思いつけたんだろう?」
――今回は東京国際映画祭の特集上映ということでお話を聞かせていただくのですが、ご自身でこれまでの作品を振り返ったりすることはあるのですか?
原 恵一監督(以下、原) そんなにはないんですね。僕が一番作ってきたのは「クレヨンしんちゃん」の映画ですけれど、映画が終わってからは、観たいとは思わなかったんです。
けれど最近は時々思い出したように引っ張り出して、部分的に観たりします。
――それは何か気になることがあってですか?
原 「なんでこんなアイディア思いつけたんだろう?」とか。「クレヨンしんちゃん」の映画の絵コンテは、追われまくっている中での作業なので、どんどん描き続けないといけないんです。そのなかで「なんでこんなアイディアが思いつけたんだろう」と、自分に感心することがありますよ。(笑)
――それは神懸かっていたとか、理由はあるのですか?
原 いやいや、ないんです。アイディアって関係ないときに思いついたりするんですよね。
偶然まかせ。ただその時の脳みそ中がものすごく高回転していて、きっとどっかから出てくるのでしょうね。
――いまは長編映画が中心で、絵コンテもじっくり描けると思いますが、何か違いはあるのでしょうか?
原 ありますけれど、出来上がったあとに「ここは絵コンテを描きながら突然思いついたたんだよな」といったシーンのほうが、後から見直しても印象深かったりしますよね。
――そのコツはあるのですか?
原 ないんですよ。創作する人ってみんなそうじゃないかな。脳の中の回路の接続の仕方がある瞬間つながるんです。
――逆に行き詰ることはありますか?
原 あります。基本的にはいつも行き詰っています。
――その解決策は?
原 ないです。考えるしかないです。
■ 「オトナ帝国の逆襲」で変わった意識
――今回、東京国際映画祭で特集を組むうえで、年代順に並べる作業もしたと思います。こういう作品があったのかとか、感慨深いことはありましたか?
原 一本一本の制作過程は自分のなかに残っていますから、特別な感慨はないんです。けれども、もう35年この業界で生きてきたのだなと思いました。35年といったら普通の人の人生の1/3以上です。
制作現場には若いスタッフも多いですけれど、「そうか、この作品を作った時はそのスタッフは影もかたちも存在していなかったんだ」って。
――映画で言えば『エスパー魔美 星空のダンシングドール』(88)からスタートして、実写映画『はじまりのみち』、『百日紅~Miss HOKUSAI~』と、随分と遠い場所に来られたと思うのですが。
原 それはありますね。たぶん普通のアニメ監督のフィルモグラフィーとは、少し異質だろなとは思います。ただ自分の中では、毎回、違うものを作っている感じではないです。毎回その時の題材に向かい合って、自分らしいものを作りたいとやってきたら、結果的にこうなった感じです。
――その“自分らしさ”を、原監督はどう考えているのですか?
原 子ども向けだろうが、大人向けだろうが自分に嘘をつかないのが大きいでしょう。
――映画祭の特集で取り上げるのは、監督の作家性に注目するのだと思います。自身で作家性を意識されることはあるのですか?
原 僕は監督としてのキャリアの大部分をシンエイ動画という会社で、社員監督としてやってきたので、そうした思いは強くはないですよね。
「クレヨンしんちゃん」はしんちゃんが全面にでる映画ですから、「監督・原恵一/クレヨンしんちゃん」でないんです。
そうしたキャリアの積み方をするなかで、「作家性ってなんだろう?」と思うのです。ただ『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(01)を作った時に意識が変わって、「これは自分しか作れない映画を作れた」と思った覚えがある。「これからもこういった映画を作り続けるぞ」と、思ったのは覚えています。
――自分にしか作れないと思ったのは、どういった部分なのですか?
原 枠にはめる映画はつまらない、枠からはみ出さないといけないと気づいたんです。それが作り手が一番陥りやすい、ダメな部分だと思ったんです。
商業作品はいろんな人が意見を出し合うので、今回のターゲットとか、この作品はどういうものにすべきかとか、そういった大枠を作って、そのなかにピースをはめ込んで行きます。「きれいなかたちになりました。これでいい」。なんだけれど、それで面白い映画になるかというとそんなことはないですよ。
『オトナ帝国』は、そういう作り手からしたらものすごく歪な映画なんですよ。僕も出来上がる過程で「やっちゃいけないことをやっているな」、「しんちゃんじゃないな」と思っていたんです。ところがこれが「クレヨンしんちゃん」の映画として受け入れて貰えた。
「作り手が考える面白い映画と、お客さんの思う面白い映画って違うんだな」と気付けたわけです。
■ 実写映画『はじまりのみち』から受けた影響
――最近の原監督の作品は、最初に掴みがあってとか、最後に大感動があってとかいったパターンを敢えて外しにかかっている気がするのですが。
原 そうした作りかたの映画には何にも思わないですよ。計算で作っているなって。
「いやいや待ってくれ、映画ってそうじゃなかったはずじゃなかったか」。それはハリウッド流の作りかたで、そうでない映画だってあるんですよ。
――そうでない映画はどういった作品なのでしょうか?
原 僕にとっては1950年、60年代の日本のクラシックの名作。そのなかでも特に木下惠介。そういう作品が僕には今でも一番刺激的な映画なんです。
木下監督は、黒沢(明)監督や小津(安二郎)監督に較べると海外の認知度は少ないですけれど、僕はその人たちに劣っていると思わないので、海外で誰かが発見して欲しいと思っているんです。
小津監督も逆輸入ですよね。ヴィム・ヴェンダースが小津監督のことをものすごく評価して、ヴィム・ヴェンダースを好きな若い人が小津に注目するようになったんです。
――その木下惠介の若き日を描いた『はじまりのみち』で実写映画を初めて撮られました。とてもいい映画だったのですが、逆に原監督は実写を撮り続けてしまうのじゃないかとも思いました。
ところが、その後にまた『百日紅』で再びアニメを撮られて、さらにその次もアニメと思いますが、実写でなくてアニメというのには理由はあるのですか?
原 いや、ないですよね。『はじまりのみち』をやっている時には一生懸命やったし、自分が思っていたよりいい映画になったという手応えもありました。
その時は「もう二度と実写はやりたくない。こんなに大変な思いはしたくない」と思ったけれど、時間が経つと不思議なものです。いろいろな題材とか、作りたいと思う作品の中に、「あっ、これは実写で作りたい」と思うようになりました。
――実写のほうが期間も短いし、スタッフも少ないので、アニメのほうが大変かなと思ったのですが。
原 結局、時間が圧縮されるので、その間は本当に何も出来ない。「こんなに過酷なのか」と。「ああ、実写の監督やっていたら親の死に目に会えない」と思いました。
――表現としてアニメと実写の違いは、どう感じられますか?
原 実写は役者さんが脚本を読んで、表情とかを考えて来るんです。それがものすごく新鮮に感じるんですよ。自分が思った以上の演技が目の前で行われていると、感動するんです。それは役者さんだけの力でなく、カメラとかスタッフの力があったりもしますが。
それとカメラの存在です。テイクツーで、二度目をやったら違う絵になるのは実写しかない。同じ絵は二度と撮れないんですよ。そこが実写の実写たる所以だと思ってます。屋外で撮ったとすれば、光の方向だとか、雲のかたちとか、風の感じとか。
テイクごとに役者さんだって微妙に変わるし、「カメラが回っている間のいまこれが映画のピースになっているんだ」というスリルは実写でしか味わえないと思いました。
アニメは同じ絵が創れるし、全て計算できるけれど、実写はそうはいかない。
――逆にスタッフとのやりとりはあるけれども、アニメは考えた通りのも出てくるのがやりやすいというのはありますか?
原 自分のビジョンがはっきりしている人だったら、そのほうがやりやすいと思います。ただ僕はそこまで思わないですよ。
絵コンテは細かく指示まで書く方ですが、ちょっとした仕草にアニメーターさんの個性が、アドリブが入ることがあって、それが自分が思った以上によくなったりすることがあると思っています。
「絵コンテで指示されてないことはやらないでください」とは思わないですね。
――原監督は個性が強いので、スタッフとの間で意見の対立が起きないのかと思ったりするのですが?
原 僕は、そんなに暴れん坊監督じゃないですよ。(笑)
実写をやったのが自分の中でいい経験になって、「みんなで作っているんだ」という意識がより強くなりました。
逆の方向に行ったときは、「いやいやそっちの方向じゃないんだよ」というのはあると思います。けれどよりよくなるのであれば、別に構いません。
■ 「子どもも、大人も楽しめる」のハードルの高さ
――今回の映画祭では「エスパー魔美」や「クレヨンしんちゃん」も上映されるのですが、子ども向けの作品をやってきたことは、自身のキャリアに影響を与えていますか?
原 ありますよ。すごくよかったと思っています。子どもは大人みたいにお世辞は言わないんです。観ていてつまらなければ騒ぐし、会話が続くと騒ぎはじめる。それが毎年見ていると分かるので、「会話が続くと見ないから次は短くしよう」とか、こうすれば子どもは笑うんだと。大体シモネタなんですけれどね。(笑)
一年ごとに、お客さんの生のリアクションを次に活かすことが出来たことが、僕のキャリアにとって役に立っていると思います。
――観客の目は常に意識しているということですか?
原 せざるを得ないですよ。僕が最初に監督したのは「エスパー魔美」の中編なのですが、その時は子どもは「つまらない!」って大騒ぎでしたから。
それってテレビじゃ絶対味わえない体験ですよ。「そうか子どもは騒ぐんだ」って。
たぶん僕自身が子どものことを意識していなかったんですよね。
――逆に言えば、いまは「クレヨンしんちゃん」も「ドラえもん」も、「名探偵コナン」も大人が映画を観ますが、それは『オトナ帝国』や『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』(02)があったからだと思います。それに対してはどう考えられますか。
原 自負はありますよ。僕にとっては『オトナ帝国』は、監督することに意識がものすごく変わった作品ですから。
――大人向けとか、子ども向けに作るとかは、先ほどの話であったフォーマット的なやりやすさがあります。一方で大人も子どもも楽しめる作品は、ハードルがかなり高いと思います。
原 そう思います。やっている時はそんな意識はなかったんですけれど、ものすごくハードルが高い仕事です。
僕が若い頃にはもうアニメオタクという人たちがいて、大人のアニメファン向けの作品はもう生まれてきていたんです。そうした人たちを納得させるクオリティを大変な思いで作っているのですが、ターゲットももっと絞られていたはずなんです。
だからその人たちより僕はより幅の広い人達に向けて作れる自信はあるんです。
――そうしたキャリアを踏まえて、今後はどういった方向性で作っていこうと考えられていますか?
原 いままでは自分の企画は積極的に出してこなかったんです。けれども僕はもう若くないので、「50歳代後半というと、もし映画だけでやれるとして、あと何本作れるだろう」と思った時に、そんなには作れないなと。アニメは3年とかかかりますので。そう考えたら、思いついたことはどんどん人に見せる様にしようと思うようになって、いま僕は何本も企画を持っていますよ。
――それはどんな作品ですか?
原 いろんなジャンルです。ファミリー向けもあるし、大人向けもあるし。それが全部実現するとは思ってないですけれど。でも年を重ねていいことは、だんだん怖いものがなくなってくるんですね。「恥ずかしいとか、怖いとかは関係ないよ」と。若いときは、「まだちょっと」と思ったけれど、この歳になったらどんどんやります。
思いついたことは人に話すし、「あれやりたい、これやりたい」と言うようになりました。
――本日は、ありがとうございました。