「デルタの羊」、アニメ業界舞台に繰り広げる人間ドラマと爽快感

デルタの羊

 『罪の声』、『騙しの絵の牙』などで知られる塩田武士の2年振りの単行本『デルタの羊』(KADOKAWA)がこのほど刊行された。舞台はアニメ業界、本の帯には「製作委員会」「制作会社」「ゲーム」「配信」「中国」「テクノロジー」「コロナ後」といった気になる言葉が並ぶ。
 これまでもアニメ業界を舞台にした小説やアニメ、コミックがなかったわけでない。しかし塩田武士は社会派小説を得意とするベストセラー作家だ。『罪の声』では未解決のグリコ森永事件に着想を得て社会の深淵を抉り出し、『騙しの絵の牙』では出版業界を舞台に奇想天外なビジネス駆け引きを描く。
 本作を前にした時の最初の感想は、「アニメ業界に大衆を惹きつける小説になる要素なんてあったけ?」。アニメの作品自体であれば兎も角も、業界自体に絵になる題材があると思えなかったのだ。

 ところが本のページを開いて読み始めた途端、それが杞憂であることがわかる。ぐいぐいと引き込まれる。アニメ業界をこんなドラマチックに描けるのだというのが新鮮な驚きだ。
 冒頭から意表をつく。社会を牛耳る組織に対抗する隼が「アルカディア」と呼ばれる装置と伴に組織の手から逃れるまでが語られる。異世界冒険もの? と思いきや、これは本編の主人公たちがアニメ化を目指すファンタジー小説の傑作『アルカディアの翼』なのだ。
 ここから物語はいっきに現実の世界に変わる。『アルカディアの翼』のアニメ化という宿願を目前とした大手ビデオメーカーのプロデューサー渡瀬智哉、そしてフリーランスのアニメーター文月隼人を中心に話は進む。だが、そこは小説だけに一筋縄でいかない。二人にはそれぞれにアニメ業界の厳しい現実が次々と降りかかる。最早立ち直れないところまで追いつめられるのだが……。

 塩田武士は元新聞記者の経歴が示すように膨大な取材の中から情報を取りだしストーリーを構成し、作品に人間ドラマを載せることを得意とする。『デルタの羊』でもアニメ業界の今を時に生々しく、時には希望も含めて描き出す。
 アニメーターが線一本一本に気持ちを込めて描くシーン、プロデューサーと原作者とのやりとり、そうした現場の様子からアニメのリアルが浮かび上がる。少し細か過ぎると思うかもしれないが、これらが確実に他の小説にない実在感を与える。それでも物語の中のさりげない会話から状況は的確に説明され、アニメに詳しくない人でも充分に入り込める。

 しかし『デルタの羊』の一番の見どころは、重厚な人間描写にある。本作は雑誌「ダ・ヴィンチ」で連載されていたが、単行本にするにあたり相当な加筆がされた。物語の舞台もコロナ後に移された。新たに加わった部分から人間描写が格段に深みを増した。「神」と称されるトップアニメーター、『アルカディアの翼』の原作者・近藤、原作者の指名で主役に抜擢された声優などなど本書には多数のキャラクターが配されている。時には普通でないと思わせる個性たっぷりな人物達ひとりひとりにドラマがあり、それが実感を持たせる。
 何よりも塩田の人間を描く際の暖かい視線が本編に貫かれている。読者の登場人物へ共感が、読後の爽快感を格別にする。
 アニメ業界に詳しければ、世の中そんなに都合よく運ばないよと思う人もいるだろう。しかしそれこそが小説の小説たる所以だ。現実の延長に描かれたフィクションは、実際に存在したかもしれないもうひとつの現実ではないか。それはアニメ業界があるべきひとつの未来を示しているのではないか。
 本書の読者の大半はアニメ業界を知らない人だろう。しかしここではアニメに関係する人たち、アニメファンに特にお薦めしたい。

『デルタの羊』
著者:塩田武士
定価:1870円
https://www.kadokawa.co.jp/product/321804000674/

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