アニメ業界の中国ブーム、そこにリスクはあるのか? ないのか?
- 2017/1/4
- フォーカス
2016年にアニメ業界で一大トレンドを巻き起こしたのが、「中国」だ。2015年にはすでに配信権、ゲーム化権を高額で購入することで関心を集めていたが、2016年には製作出資や映像化を念頭においた原作の翻案権の購入、さらに日本での制作会社設立、制作会社への出資とビジネス領域が急拡大し、さらに注目が高まった。2017年も、アニメビジネスの関係者の間では引き続き中国に対する関心は大きい。
中国からの売上は拡大し、共同事業も増えている。そのなかで多くの人が気にするのがリスクの大きさだろう。2000年代以前、鳴り物入りで中国進出をした会社もあったが、多くは大きな成功とならなかった。日本アニメへの輸入制限が急激に強まった時期でもあり、度重なる政策の変更に翻弄された。
しかし現在もこうしたリスクはなくなったわけではない。むしろビジネスが大きくなり、インターネット上の規制がこれまで緩かっただけに、逆に環境の変動リスクは拡大している。
それでも多く人が中国ビジネスに目を向けるのは、チャンスを見逃すかもしれないという危機感と、他の人たちがすでに成功している(少なくともそうみえる)というものだ。自分達もこの流れに乗ってひと儲けというわけだ。中国が巨大な市場としても、それほどまでにビジネスの余地はあるのだろうか? 日本企業も中国企業も、過度の成長期待と、他社に先を越されたくない焦り、自分だけはババを引かないという根拠なき自信に支えられているようにも見える。これはバブル時に発生する典型的な群衆心理でないだろうか。
マクロ経済は僕の専門ではないが、中国の不動産価格が高騰し過ぎていること、企業借入金が膨らみ過ぎていること、金融機関の不良債権比率が常識を超える水準に達していること、多くの製造業・資源産業で過剰な生産設備が発生していること、これらは市場のコンセンサスとなっている。コンセンスサスがないのは、これがソフトランディングをもたらすのか、ハードランディングになるのかの見通しの違いだ。「問題はあるが解決は出来る」と「破壊的な結果をもたらす」のいずれかである。
中国楽観論を唱える人の多くは、「(中国人は)日本の失敗の経験を知っている、日本人みたいに馬鹿でない」という。しかし、同じ言葉は、リーマンショック前の米国の住宅バブル、モーゲージ債券バブルの時にも聞いた気がする。
日本の金融・不動産崩壊や、米国のサブプライムローンの崩壊とリーマンショック、過度の借入金に頼った南ヨーロッパの国々の財政破たん、歴史はどんなバブルもやがてはじけていることを証明している。結局は、「驕り」こそがバブルの典型的な症状なのだ。バブル崩壊が中国全体を破壊するようなことはなくても、リーマンショック後の世界の金融業界、現在のEUの経済不振並みのショックは予想の範囲内でないだろうか。そして経済全体の変調は、エンタテイメント産業、アニメビジネスにも間違いなく波及するはずだ。
問題は仮に中国バブルが崩壊するとして、それは日本にとってほとんど利益がないことだ。中国崩壊論を唱えて、小さなナショナリズムを満足させるのは簡単だ。しかし、もし中国経済が崩壊すれば日本の経済環境はいまよりも確実に悪くなるだろう。
アニメ業界も同様だ。日本のアニメ関連企業の中には、現在の中国からの配信権の購入、ゲーム化権の購入で潤っているケースが少なくない。もしこれがなくなればかなりの痛手を受けるのは間違いない。
しかし、確かなのは、どのような経済スランプが起きても、依然、大きな中国市場がそこにあるという事実だ。14億の人口がおり、そこには世界で最も大勢の日本のアニメファンがいる。
いま考えなければいけないのは、ビジネス取引の信頼度、事業の質の精査だろう。信頼度はビジネスパートナーの人間としての信用もだが、彼らが現在どの程度のリスクを背負い、何かあった時にどの程度のリスクまで耐えうるかを知り、または推測することである。
中国企業の実態はなかなか見えない。しかし、借金を重ねて事業を膨らませていれば、それは企業の行動から分かるはずだ。手がけているビジネスが現在、すでに黒字なのか、今後の成長を見越した投資なのかも察しはつく。バブルが崩壊した際に失われないのは、実体のある顧客やインフラなどの確固たる基盤である。将来に実現するかもしれない期待ではない。
そして、多くのバブル崩壊時がそうであるように、ここが新たなビジネスチャンスになる。多くの資産はバーゲン状態になり、本当のビジネスを行っており、体力のある企業が明らかになる。いま日本企業に求められるのは、「14億人の巨大市場」「他の企業に先をこされますよ」といった甘い言葉に乗り、焦らさることでなく、夢でなく、実態のある事業を見抜く力だ。確かな利益がどこから生まれるかである。