伝統になるべき時期にきた ―広島国際アニメーションフェスティバルを観覧して-後編-

広島国際アニメーションフェスティバル

津堅信之(アニメーション研究/日本大学藝術学部講師)
 
(3) なぜ日本作品が入らなかったのか

 さて、意識的にせよ合議の結果にせよ、日本作品が1本も入らなかった75本のコンペティション作品、全部を見ての印象をいくつか書いてみたい。

 まず、これは毎回のことなのだが、「なぜこれがコンペに入ったの?」という作品が何本かあった。イチ押し作品がない一方で、確実に受賞枠には入るだろうという作品は10作前後選べたのだが、「これが入っているなら日本のこの作品を入れるべきだろう」という思いが、コンペ上映中、何度か去来した。
 そのことと関係あるかどうかはわからないが、私が訊いた複数の選考審査経験者によれば、選考委員の「好み」だけで入選枠を埋めてしまうと、たとえ合議の結果であったとしても、作品群にある種の偏りができてしまう。このため、意図的に実験的・先鋭的な作品などを入れ、全体のバランスを考慮することがある、というのである。
 これは、私自身が少ないながら関わった映画祭審査の経験からも、わかる話である。バランスを考慮するというだけではなく、当該の映画祭の特色のようなものを意識して、入選作をコントロールするのである。
 ただ、今大会のコンペには、さほど実験的な作品が入っているという印象はなかった。だとすれば、もっと日本作品が入ってもよさそうなものだが、この点をもう少し掘り下げると、今大会のコンペの深層が見えてくる。
 つまり、親子、家族や恋人どうし、小さなコミュニティなどで生じる人間の様態や、「絆」をモチーフとした作品が目立ったのである。加えて、移民とその問題をテーマに織り込んだ作品も複数入っていた。
 そしてこれらのモチーフやテーマは、近年の日本の、特に若手の短編アニメーション作家が不得手にしている、というのが私の見立てである。日本の若手作家は、自身の内的問題を作品制作の発端にして、これを映像化し、あたかも自身の問題を作品制作によって解決しようとする傾向が目立つ。もちろん「目立つ」だけであって、そうではない作品を含めた多様性は日本の作品群にはあるし、自身の内的世界を作品化することには何ら問題はない。

 それでも、3000本近い応募作があり、その1割を超える作品が日本からの応募で、何らかの意図や考慮があったにせよ5人の選考審査員によって選ばれた75本を通して見ると、そこに日本人作家の作品が入っていないという結果には、私個人は納得できないが、一定の妥当性を認めざるを得ないという気がしてきたのも事実である。

 ここで思い出すのが4年前の第15回大会で、初めて日本人作家の入選がゼロだったコンペでは、戦争を題材とした作品が目立った。2014年の第15回大会は、第一次世界大戦100周年にあたっており、ヨーロッパ各地域で、大戦をテーマにした作品制作が一つの潮流を形成していて、これが選考結果に反映されたと考えられる。今大会で垣間見えた移民問題もそうだが、いずれも日本人が切実感をもって取り上げにくいテーマである。
 第一次大戦の結果引かれた国境線が後の第二次大戦につながり、さらには近年の移民・難民問題の遠因になっているという現況は、欧州各国の人たちにとって第一次大戦は今日的なテーマだということにほかならない。ひるがえって日本の若い作家たちは、たとえば第二次大戦に向き合って思考し、その結果を映像言語によって一般化して、世界へ向けた作品として現代を問い直そうという姿勢が、いかほどのものだろうか。
 問題を戦争の扱いに限定してしまっているが、重要なことは、何を題材にするか以前に、アニメーションで何を表現して、それを国際映画祭に出品する(全世界に向ける)とはどういうことかを熟考することである。コンペ終了後、ある選考審査経験者が私に「日本の作品はかわいい作品が多いから」と話したが、これは現状を単純化しすぎた言い方だとしても、その意味するところは私も感じた。

 映画祭は「お祭り」であり、日本開催の国際映画祭なのだからもう少し日本作品への目配りをと考える私なので、今大会のコンペ作品を個別に見れば、いくつかの日本作品と差し替えたいと強く思ったが、同時に、コンペを総合的に見れば、日本作品が入らなかったのにはそれなりの理由があることも、やはり自覚しなければならないようだ。
 
(4) 「広島」の役割

 かつて広島フェスは、フランスのアヌシー、クロアチアのザグレブ、カナダのオタワでそれぞれ開催されている国際アニメーション映画祭と並んで「4大アニメーション映画祭」とも称された。特に日本国内では、唯一のアニメーション専門の国際映画祭として、長くその存在感を維持してきた。
 しかし、国内だけを見てもここ数年、新千歳空港国際アニメーション映画祭、東京アニメアワードフェスティバルなどが立ち上がって、それぞれ独自色を放っている。
 そういう中での広島の役割は、私はもはや「伝統」の維持にあるように思う。

 通常、広島フェスのような映画祭にはフェスティバル・ディレクター(FD)という役職があり、FDがプログラム構成や運営全般の陣頭指揮をとる。このため、よくも悪くもFDの個性がその映画祭を特徴づけることになる。広島でも、初回以来運営に関わるFDがいるが、今回私は、過去の17回を思い返し、またいろいろな人に取材した結果、コンペ部門に関する限り、FDの関わりは意外なほど薄いように感じた。この点は、2014年に始まった新千歳とはきわめて対照的で、結果的にうまく役割を分担している。

 もちろん広島フェスには課題も少なくない。特に、相変わらず広島市民に広く浸透しているとは言い難い現状、結果としての地元客の伸び悩みがあろう。私は以前から、集客を一つの目的として長編アニメーションのコンペティションをやるべきだと書いてきたが、これは東京ですでに行われ、新千歳でも今年から追加されることになった。だから広島では今のままで、つまりは伝統を維持すればよい。コンペの「ヒロシマ・メソッド」もその限界を感じてきたが、今回いろいろな人と話しをして、それが独自のものであるならば、これはこれでアリなのではないかと思うようになった。

 大会の何日目だったか、私は会場のプレスルームで、友人の記者から「津堅はなぜそれほど広島が好きなのか」と訊ねられた。彼の仲間内でそういうことが、私のいないところで話題になったのだという。
 その答えになるかどうか、私のこれまでの広島参加経験で、強く印象に残った3回を挙げたい。一つは初参加の第2回大会(1987年)。このときはすべてに目を奪われたが、とりわけコンペの審査委員の面々、Y・ノルシュテイン、B・ボツェット、P・ドリエッセン、特偉、そして手塚治虫など、おそらく過去最高のビッグネームが集った。

 次に、1994年の第5回大会。コンペ作品が充実していて、有名どころでは「ウォレス&グルミット」シリーズ第2 作の『ザ・ロング・トラウザーズ(ペンギンに気をつけろ!)』、オイルペインティングのA・ペトロフの『おかしな男の夢』、イギリスのM・ベイカーの『ヴィレッジ』、そしてグランプリはF・バックの『大いなる河の流れ』で、バック本人が来場し授賞式に立った。『ペンギンに気をつけろ!』のコンペ上映会場での大爆笑と大拍手の渦は、決して忘れることができない。
 そして、2008年の第12回大会。コンペで、山村浩二の『カフカ 田舎医者』がグランプリ、加藤久仁生の『つみきのいえ』がヒロシマ賞、広島フェスの二大賞を日本人作家が、いわばワンツーフィニッシュで受賞した。この年が生誕80周年だった手塚治虫の回顧上映も組まれ、しかも、杉井ギサブロー、出崎統、富野由悠季、りんたろう、高橋良輔という虫プロ出身監督5人が集まってトークイベントをやるという、商業アニメ界との距離を保ってきた広島フェスとしては信じられない光景を目の当たりにできた。
 こういう「むかし話」ができている時点で、広島はもはや「伝統」なのである。

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